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コミックス版「風の谷のナウシカ」2回目を読み終えて。

昨日コミックス版「風の谷のナウシカ」二回目を読み終えました。


一回目を読み終えた後の感想の補足と共に二回目を読み終えた後の感想を書きたいと思います。


まずは今回の記事を書くにあたって参考にさせていただいたサイト。
新約・腐海文書Link


以下ネタバレを多く含むますので、これから読もうと思っている方はこの先は読まない方が良いかも?


それと最初に言い分け。


以下はSINSEIが2回目を読み終えての率直な感想ということで、もしかしたら全然的外れなことを言っているかもしれませんので、もしそうだとしたらお許しください。(つまり自分にとって都合にいい解釈をしているかもしれないってことね。)




↓ネ
 ↓タ
  ↓バ
   ↓レ
    ↓注
     ↓意
      ↓改
       ↓行
        ↓中




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まず一回目を読み終えた時の感想エントリー記事「「コミックス版風の谷のナウシカ」(全七巻)を読み終えて。Link 」の中で

コミックス版はアニメ映画版「風の谷のナウシカ」の完全否定だからだ。(とはちょっと言い過ぎかだけれど、、、)
最後の最後、七巻で茶ぶ台を
(ノ`Д´)ノ彡┻━┻、どりゃー
と、全部ひっくり返した(笑)
なんだったんだ、今までの話は!?


て書いたけれど、これはある側面(例えば「腐海や蟲達の誕生の秘密」)に対しては正しいと言えるが、ただ宮崎駿の主義主張は最初から一貫している。(と思う。)


それは「この星の生きとし生ける物、そのすべてを愛でよ」ってことなんだろうと思う。


それは「命を大切に」ってこととは意味合いが違う。


「その者(物)の生から死までの運命を受け入れろ」ってことなんだろうと思う。


そしてこれはまた「運命に逆らうな」ということとも違う。


人や生物はこの星で何千何万何億年という間、その時々の環境(氷河期とか地殻変動とか戦争とか)に即して変化してきた。時に絶滅してしまった種もあるかもしれないけれど、けれども我々(人も含めた動植物)はまだこの地球上に生きている。


つまり「変化する」ということは「生きる」ということだ。そして「変化する」とは「行動する」ということだ。


「行動は起こせ、ただ結果は受け入れろ」これが「この星の生きとし生ける物、そのすべてを愛でよ」ということなんだろうと思う。


ナウシカ:
生きるとは 変わることだ 王蟲も粘菌も草木も人間も 腐海も共に 生きるだろう
(7巻P198)


墓所の番人:
人類は わたしなし には亡びる
お前達は その朝を こえることは できない

ナウシカ:
それは この星が きめること ・・・・・
(7巻P201)


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SINSEIは都会育ちだし、学生時代「生物」が不得意だったし、いわゆるエコロジストではないので、どっちかっていうと人としての社会学的な側面から一回目を読み終えた時の感想エントリー記事を書き上げたけれど、それはもしかしたら「人の傲慢」なのかもしれない、ということらしい。


しかし我々はカリスマ性を持った主人公(ナウシカ)ではない。だから一回目を読み終えた時の感想エントリー記事で


その共同体の求心力ってなんだろうって思う。その絆の強さって、その価値の重さって、なんだろうと思う。

主人公のカリスマ性?宗教?思想哲学?民族?郷土愛?愛国心?

よく分かんないけれど、宮崎駿が言いたいのは(違っていたらゴメンなさい)、「誰かを守りたいという心」なんじゃないかな?なんて思う。

その「誰か」って人類とか、国民とか、そんな大それたものじゃなくって、もっと身近な家族や恋人や友人や仲間。
て書いた。


なぜなら共同体(組織といってもいいかもしれない)の求心力をその主人公のカリスマ性だけに求めると、そのカリスマを失った時に必ず組織は崩れるからだ。共同体は最初の崇高な主義主張を忘れ、組織の存続それ自体を目的としてしまう。


その危険性が恐かった。


だからまずは「家族から守れ」と書いた。「恋人や友人や仲間から守れ」と書いた。そしてその輪を少しずつ広げればいいんじゃないかな?と。家族や仲間から国から人類、人から草木から蟲から動物、あらゆる生きとし生けるものへと。


人は愚かだからその過程で必ず戦争は起こるけれど、それはいつか人が乗り越えなければならない壁(というか「業」)なのかもしれない。


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ナウシカの最後の選択に賛否が集中しているようですね。


おそらく宮崎駿が言いたかったことは、「人の作りしものにその人の運命を委ねるな」ということなんだろうと思う。


人の作りし「神(もしくは宗教)」、人の作りし「理想郷(ユートピア)」、そんなものに身を委ねるな、「自然」に身を任せろということなんだろうと思う。


これは「光と闇(善と悪)」を対立軸とした二元論的一神教の否定ともとれるし、共産主義の否定ともとれる。


「神」とは人智を超えたものであり、「理想郷」とは夢見る物である、と。


人は神にはなれないし、この世界に天国なんて作ってはならない、と。


そもそもユートピアWとは
ギリシア語のοὐ ou(ない)、τόπος topos(場所)を組み合わせ「どこにもない場所」を意図とした地名と説明されることが多いが、記述の中では"Eutopia"としている部分もあることから、eu-(良い)と言う接頭語もかけて「すばらしく良いがどこにもない場所」を意味するものであったとみられている。
(Wikipediaより)


あと参考までに同じくユートピアWから少々長くなりますが引用
ユートピアでの生活は、モアより数世紀後の概念である共産主義思想が提示した理想像を想起させる。住民はみな白くて美しい清潔な衣装を着け、財産を私有せず(貴金属、特に金は軽蔑され、後述する奴隷の足輪に使用されている)、必要なものがあるときには共同の倉庫のものを使う。人々は勤労の義務を有し、日頃は農業にいそしみ(労働時間は6時間)、空いた時間に芸術や科学研究を行うとしている。

しかし、実際には着る衣装や食事や就寝の時間割まで細かく規定され、市民は安全を守る為相互に監視しあい、社会になじめないはぐれ者は奴隷にされるなど、現在の視点から見れば理想郷どころかディストピア(逆理想郷)とさえ言える内容となっている。そして実在した(する)共産・社会主義国の実像そのままである。


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ここではナウシカの感想からちょっと離れるけれど、そもそもSINSEIは以前からキリスト教の二元論ってなんか変だよなて感じていたんだけれど、


なんかおかしくないかな?すごく(人にとって)ご都合主義すぎる。


もちろんSINSEIは宗教学を専門に勉強したことないから、素人感覚の意見だけれど、


唯一の創造物で絶対神と言っておきながら、神と悪魔(二元論)を分ける。じゃぁその悪魔はだれが作ったんだよ?「唯一の創造物で絶対神」じゃないとしたらなんだよ?人の心か?


じゃぁその「人」はだれが作ったんだよ?「唯一の創造物で絶対神」でしょ?


ということは「唯一の創造物で絶対神」はその悪魔も内包しているいわけでしょ?


人にとって何か意味があるから神がその悪魔って存在を許されている分けだよね?


779.キリスト教における神義論・黙示思想について - raccoon21jpのブログLink
善と悪。「ヨブ記」ではサタンは神の大敵などではなく、神の宮廷の一員で地上のことを報告するものに過ぎなかったが、その後歴代の黙示思想家達は天から放逐された強大な堕天使で地上に恐るべき破壊を齎し神と悉く対立するものとの性格を与える。

だから、こうだ。

義なるものもこの地上で苦しめられるのは、決して神が罰しているからではない、逆に神の敵、サタンが彼らを苦しめている。この敵は小さな敵ではなく宇宙論的な意味で神と対立する敵なのである。この世は一歩間違えると悪魔的なもので満ち満ちているという世界観なのである・・

ここでは、黙示思想家達は近くになるほどだが、極めて古い善悪二元論を復活させたのである。


あ、ナウシカに話を戻します。。。``r(^^;)


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ナウシカ:
撃てないよ!!

どんなに苦しくても お前は生きて いるんだもの!!
生きようと しているもの!!
(2巻P63)


ナウシカ:
苦しみや悲劇や おろかさは 清浄な世界でもなくなりはしない
それは人間の 一部だから・・・・・

だからこそ 苦界にあっても 喜びやかがやきも またあるのに
(7巻P200)


どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、人は(生物は)その「生きようとする」ところに価値がある。


生と死が等価値ならば、「生きようとする」ことによって初めてその死にも価値ができる。その死を肯定(認める)ことによって初めて人は「生きようとする」


生と死(は表裏一体だからだ。


そして善と悪が同根ならば、
墓所の主:
お前は危険な闇だ 生命は光だ!!

ナウシカ:
ちがう いのちは 闇の中の またたく光だ!!

すべては 闇から生まれて 闇に帰る


光は闇の中で光るからこそ輝くし、その光がまた影を作るのだ。


死の恐怖の無い地上の極楽浄土にいった何があるというのか?


ナウシカ:
私達の生命は 私達のものだ 生命は生命の力で生きている

その朝が来るなら 私達はその朝にむかって生きよう

私達は 血を吐きつつ くり返しくり返し その朝をこえてとぶ鳥だ!!


そうだそのとおりだ!、そして絶望の中で希望を見出す、残酷さの中で美しさを見出す。


ナウシカ:
私達は世界の 美しさと残酷さを 知ることができる

私達の神は 一枚の葉や 一匹の蟲にすら 宿っている からだ
(7巻P208)


ここに至って宮崎哲学は「アニミズム-多神教」へと帰結するということか。


つまり最初の1巻から一貫して「この星の生きとし生ける物、そのすべてを愛でよ」と言っているんだ。


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最後にこの物語でSINSEIがもっとも好きなセリフ(第7巻はそれはもう名言の嵐だけれどネ)


旧文明末期に「火の七日間」で世界を焼き尽くしたといわれる巨神兵、その生き残り「オーマ」。「世界を滅ぼした怪物」、「闇の子」といわれ、毒のある光をまき散らし、すべてを焼き尽くす。その人の作りし生命体(?)の死の淵でのナウシカの言葉
オーマ あなたは私の自慢の息子です

誇り高く けがれのない心の 勇敢な戦士です

それに・・・・・

とても やさしい子です
(7巻P216)



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— posted by SINSEI at 01:29 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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