アニメ 「海がきこえる」

その原作本が岡山県立図書館にあるとのことで、続編の「海がきこえるⅡ アイがあるから」 と共にもうずっと前に予約を出しておいた。
ようやく忘れた頃に連絡があり、先々週末に図書館まで取りに行って、この先週末の土・日、そして月といっきに読み終えた。
正直ってやられた。不意打ちを食らってガツンと打ちのめされた気がした。。。
最初の「海がきこえる」の方は、ほぼアニメ通りというか、アニメの方がほぼ原作通りなんだけれど、若干違うところは主人公の杜崎拓の大学時代もアニメよりは少し多く描かれている点。
あとラストの方で大きく違う点があったのは、アニメの方はある種の甘酸っぱさとかほろ苦さを醸し出しながら余韻を持たせるような終わり方だったのに対して、小説の方はもうちょっとはっきりした形で終わる。
どちらが良いとか悪いとかではなくて、アニメのままで完結させるのならその後の展開をみているものに想像させるような、余韻を持たせた終わり方もありだと思うし、
逆に続編があるのなら小説のようにもう少しはっきりした形で一区切りつけるというのもありだと思う。
いずれにしろほぼアニメ通りだったので、アニメの映像を思い浮かべながら読めたので読みやすかったんだけれど、
ただアニメには登場しない人物、津村知沙や田坂さんの描かれ方が中途半端だったので少し消化不慮気味だったのだけれど、、、それはあくまでも続編への伏線だったのだ。。。
正直ナメていた。
「海がきこえるⅡ アイがあるから」も最初の「海がきこえる」同様、軽い感じで読み始めたのだけれど、そんな物ではなかった。不意打ちを食らってガツンと打ちのめされた感じだ。。。
最初の「海がきこえる」は高校生のお話だし、うっ屈した青春時代を送ったSINSEIは高校時代そんなような経験は無いので、一種の憧れをもってこの物語をあくまでも物語世界のお話として読んでいたんだけれど、
「海がきこえるⅡ アイがあるから」はリアリティを持ってSINSEIの身に迫ってきた。これが氷室冴子ワールドの真髄なのか?
恐らくこの小説を大学生の頃に読んだとしても何とも思わなかったかもしれない。「よくありがちなトレンディードラマかなんかと一緒じゃん」それくらいの感想しかもたなかったかもしれない。
事実、20年前、23歳頃に読んだ氷室冴子作品はもうその題名も内容も全く忘れてしまっている。
その後今日までの20年間にSINSEIもいろいろ経験してきた、、、ということなのか?
物語の構成(というのかな?)は秀逸に素晴らしくて、
拓の目を通して、先輩たちの少し大人びた恋愛(三角)関係をサブストーリーとして語らせ、
(裏ストーリーとしての)里伽子の父と母と再婚者(不倫相手)の大人の三角関係を背景にして、里伽子と再婚者(不倫相手)の関係性を描き、
それぞれがそれぞれの身近にある大人の世界の領域を彷徨いながら、お互いがリアルな等身大の恋愛関係を築く。
この辺の魅せ方はお見事!
「海がきこえるⅡ アイがあるから」のあとがきで氷室冴子は津村知沙のことを、「私は彼女がご贔屓で」と書いている。連載から単行本化する際に推敲した結果、津村知沙の影が薄くなり、そのことが続編を書くきっかけの一つとなっていると述べている。
実はSINSEIも津村知沙の突拍子もない行動と謎めいたところがご贔屓で(笑)、というか気になっていて、それで消化不慮のような形だったんだけれど、
実は「海がきこえるⅡ アイがあるから」では、拓と里伽子のメインのストーリー、もちろんそれはそれとして物語として楽しめたけれど、実はサブストーリーの方がよほど身につまされた。
もちろんSINSEIは結婚してからは一度も不倫なんてしたことは無いけれど(たぶん)、
津村知沙の気持ちも良く分かるし、田坂さんの気持ちも痛いほど良く分かるし、大沢氏の気持ちもきっとたぶん分かるような気がする。。。
「恋」っていうのは時として自己満足で、自己陶酔で、自分本位なんだろうと思う。
その辺りが、神のみ前で永遠の愛を誓う「結婚」、二人で努力して長続きさせる「愛」とは根本的に違うんだろうな。
「あなたを愛している私が好き」これが恋なんだろうと思う。
それでもジュリエット祖母(水沼君の祖母)は歌う。
♪いのちィ、みじかしィ、恋せよォ、乙女ェ~
SINSEI は昨今の恋愛至上主義めいたものには疑問符ですが、
でもそれでもやはり女性はいつまでも乙女の心を忘れないで欲しい。
幾つになっても恋する乙女でいて欲しい。
もちろん無分別でない、年相応の、できることなら誰も傷つけない、素敵な恋を。
でも誰でもいいってわけじゃないから、誰か、素敵な誰かとね。
でわでわ。
>
Comments