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コミックス版「風の谷のナウシカ」(全七巻)を読み終えて。

たった今読み終えました。(とりあえずアニメ映画版と明確に分けるために「マンガ版」から「コミックス版」と表記を変えてみました。)


以下(読み終えたばかりでまだちょっと頭の中が混乱しておりますが)ネタバレを含む感想と思われますので、これから読もうと思っている方はこの先は読まない方が良いかも?




↓ネ
 ↓タ
  ↓バ
   ↓レ
    ↓注
     ↓意
      ↓改
       ↓行
        ↓中




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『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。長く深い深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む。』(「善悪の彼岸」ニーチェ「箴言と間奏146」)


SINSEIは哲学を専門に勉強したことがないのでニーチェが誰だかは良く知らないけれど、SINSEは結構この言葉が好きだ。


はじめてこの言葉を知ったのは、映画「羊たちの沈黙」のモデルとも言われるロバート・K. レスラーが著した「FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」を読んだ時のことだった。




この本は当時(20年くらい前?)、いわゆるサブカル(サブカルチャー)系の人たちの間で大流行した本で、この本の前文にこのニーチェの言葉が記されていた。


その後SINSEIはDVDで岩井俊二の映画 「リリイ・シュシュのすべてLink 」を観た時もこの言葉を思い浮かべたのだけれど、


まさか「風の谷のナウシカ」(コミックス版)を読んでこの言葉を思い浮かべることになろうとは、思ってもみなかった。(6巻P38)


まさに宮崎駿の心の深淵を覗き見たような気がした。


そして宮崎アニメというものが何故これほどまでに人々の心を捉え愛されるのか、その真理に触れた。


何故なら、闇を知った者でなければ人の心の傷は癒せないからだ。この人は「闇」を知っている。そしてそれを恐れない。


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白河の清きに魚の棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき


これもSINSEIの好きな江戸時代の狂歌なのですが、寛政の改革を行った老中 松平定信(白河藩)を皮肉ったものです。


もちろんSINSEIは賄賂政治を良しとする者ではありませんが、あまりにもクリーンでキレイな政治だけを目指していても決して人々の暮らしは良くならない。

魚はただキレイな水だけでは育たない、ある程度泥や菌や不純物などで澱んでいないと魚は育たない、これもまた心理です。


これは現代でもいろいろなことに置き換えることができますが、例えば反戦平和とか、人権とか、差別とか、環境問題とか、とかとか。


世の中キレイ事だけではどうにもならないことって確実にあるし、自らの手を汚さなければならない時というのは誰にでもある。覚悟の問題です。


このコミックス版「風の谷のナウシカ」でSINSEIはその宮崎駿の「覚悟」を感じた。何故ならSINSEIが思うにこのコミックス版はアニメ映画版「風の谷のナウシカ」の完全否定だからだ。(とはちょっと言い過ぎかだけれど、、、)


最後の最後、七巻で茶ぶ台を


(ノ`Д´)ノ彡┻━┻、どりゃー


と、全部ひっくり返した(笑)


なんだったんだ、今までの話は!?


これにはビックリしたよ。


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ヴ王は言う、
「失政は政治の本質だ!! 」
と。


そうだ、その通りだ。政治とは失政の繰り返しだ。政治が人の成す物ならば、人は過ちの繰り返しだ。そして人類の歴史は戦争の繰り返しだ。それは1000年、2000年と絶えたことのない事実だ。人類はなにも成長しちゃいないし、歴史から何も学ばない。


でもそれでも、たとえ暗黒の淵にあったとしても人類は生きながらえてきた。連綿とその生命の営みを絶やさずに。


それが人の力だ。生命力だ。


絶望と希望を繰り返しながら、時に怒り、時に悲しみ、時に苦しみ、傷つけ傷つきながらもいたわり合い、喜びを分ち合う。


闇の中にあってなお希望を見出す。それが「生きる」ということだ。


な~んて、ちょっと力みすぎたので、ちょっち肩の力を抜こうぉ~<自分。(^。^;)フウ


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そもそも宮崎(ジブリ)アニメはあまり見ていないし、宮崎駿W自身についてもWikipediaで読んだ程度の知識しかないので、的を射ているのかどうか?


1巻~6巻まではペースよく読めたのですが(「生物」が不得意だったので、「胞子」とか「菌糸」とjか「苗床」とか「粘菌」とかはよく分からなかったけれど)、でも7巻ぐらいから急に難解になって、ちゃんと読み解けているのかどうか?


少し話題を変えます。


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前のエントリー記事「マンガ版「風の谷のナウシカ」を読むにあたっての心の整理Link 」でアニメ映画版「風の谷のナウシカ」を見終えた後の率直な感想として
「子供向けだなぁ~」


って書いたけれど、もっと正確に表現すると、「大人が安心して子供に薦められる映画だなぁ~」ということ。


つまりそれは「毒」が無いということだ。


「毒」が無いほどつまらないものは無い。なぜならそれは「正論」だからだ。


SINSEIはこの誰もが反対できない「正論」って奴を大上段に構えて喚き散らす奴が大っ嫌いだ。(例えば「命を大切に」って奴ね。)


何故ならそれを認めちゃうと最後には、最初に「神」って言った奴が勝つからだ。


「神」って言われちゃうとそれはもう誰も反対できない。「神はこうおっしゃっている」それが本当かどうかは分からない。そいつが勝ってに言っているだけかもしれない。でももしかしたら本当かもしれない。そして神にそむいたら悪魔扱いである。


その恐怖はスティーヴン・キングWの原作映画「ミスト」で良く表されているから、興味のある方は観るとよいと思うけれど、攻めてくる巨大昆虫よりもショッピングセンターに閉じ込められた人々の軋轢の方がほんと怖かった。

Link

ミスト [DVD]Link

  • 情報取得失敗




あ、話がそれた。元に戻します。


つまり何故SINSEIがアニメ映画版「風の谷のナウシカ」が好きになれなかったかというと、その「毒気」が無かったからなんだけれど、今回コミックス版を読んでみて、宮崎駿はちゃんと「毒」を持った人なんだということが認識できてホント良かった。


ナウシカは決して穢れをしらない純粋で無垢なだけの風ではない。「慈悲と破壊の混沌」(ヴ王 7巻 P212)であり、「猛々しい 怒りを燃やしつつ 侮蔑と憎悪でなく ・・・・・・・・ 悲しむ」(クシャナ 5巻 P55) 風だ。


ナウシカは言う、「私達は 血を吐きつつ くり返し くり返し その朝を こえて とぶ鳥だ!! 」


そしてたとえ「悪魔」と呼ばれようとも「美」と「残酷」の中で生きることを選ぶ。


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前のエントリー記事「マンガ版「風の谷のナウシカ」を読むにあたっての心の整理Link 」で宮崎駿のことを
一貫して子供たちにメッセージを送っている
「男の誇り(ダンディズム)」と「女の高貴性」を描く人
と書いたけれど、


もう一つ、宮崎駿は
「共同体を大切にする人」なんだと思う。


たぶん今失われつつある共同体、例えば地域社会とか、価値観の共有とか、絆とか、、、そんなものが失われつつある今、だからこそ宮崎アニメがある種の憧れをもって受け入れられるんだろうなぁ~。


それは年代によってはある種のノスタルジーなのかもしれないけれど、でもそれだけではない、やっぱり「求めている」んだろうなぁ~、リアルな連帯感もしくは時代の共有というものを。


ブログをしているSINSEIが言うのも変だけれど、社会学者の宮台真司Wが今の若者のコミュニケーションを「(小さな)島宇宙Link 」と表現しているけれど、でも心のどこかではやっぱり求めているんだと思う、大きな大きな物語の共有を。


その共同体の求心力ってなんだろうって思う。その絆の強さって、その価値の重さって、なんだろうと思う。


主人公のカリスマ性?宗教?思想哲学?民族?郷土愛?愛国心?


よく分かんないけれど、宮崎駿が言いたいのは(違っていたらゴメンなさい)、「誰かを守りたいという心」なんじゃないかな?なんて思う。


その「誰か」って人類とか、国民とか、そんな大それたものじゃなくって、もっと身近な家族や恋人や友人や仲間。


「自分の命を賭けてでも守りたい、人や物や価値」ってあるんだと思う。


自分の命を投げ打ってでも守り抜いたものに、その生命は受け継がれる。つまり「守る」とは「生きる」ことだ。


絶望の淵にあってなお「誰かを守りたい」と思う。それは希望であり、「生きる」ということなんだ。


そして「守る」ということは「戦う」ということだ。


つまり「生きる」ということと「死ぬ」ということは等価値でなければならないんだ。


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あ~だんだん混乱してきたよ。なんだか頭痛くなってきたからもう寝よう~。(-_ゞゴシゴシ


あ、忘れてた。最後にちょっとだけ。。。


結局「森の人」はなんだったんだ?人のもう一つの可能性、、、てこと?


巨神兵についてももうちょっと説明が欲しかったけれど、、、もう一回読めってことか?



遠い遠い昔、人は空を飛べたのかもしれない。
それは遠い遠い太古の昔、憎しみがまだ悲しみだった頃




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— posted by SINSEI at 03:56 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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