このブログは何も訃報をお知らせするブログではないのですが、少なからずSINSEIの人生に影響を与えて下さった人物については、ご冥福をお祈りする意味も込めて、書き記したいと思います。
訃報:江戸川乱歩賞の作家、栗本薫さん 56歳 - 毎日jp(毎日新聞)

「ぼくらの時代」「グイン・サーガ」シリーズなどで知られる作家、評論家の栗本薫(くりもと・かおる、本名・今岡純代=いまおか・すみよ)さんが26日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。56歳。葬儀は近親者だけで行う。お別れ会を後日開く予定。
もちろん「ぼくらの時代」をはじめとするいわゆる「ぼくらシリーズ」三部作(でしたっけ?)は読んだ。(ちなみに「魔界水滸伝」「真夜中の天使(マヨテン)」は途中で挫折、「グイン・サーガ」シリーズは未読)
けれどもSINSEIにとって栗本薫と言えば、SINSEIの人生に多大なる影響を与えたこの一冊。
シンこと石森信たちのロックバンド「ナイトメア」のグルーピーが殺された。被害者の名はライ。誰も本名を知らない。バンドのメンバーに疑いがかかったが…。ロックバンドのグルーピー殺害事件の背後に潜む「悪い星の下に生まれた女(ハード・ラック・ウーマン)」の哀しい過去。待望の長編ロック小説。
「長編ロック小説」って、、、(笑) でもまぁ~確かにそんな雰囲気の小説だ。
ロックバンド KISS のあまりにも有名な曲(SINSEIが小6の頃初めて聴いたKISSの曲もこの曲)からタイトルを頂いたこの小説「ハードラック・ウーマン」
「グルーピー」とは特定バンドのいわゆる「追っかけ」だ。「追っかけ」と言えばそれでも聞こえはいいが、略称「ピー」と呼ばれだすとバンドのメンバーやスタッフに身体を捧げたり、またそのことを同じ「ピー仲間」に自慢したりする輩も多いいと聞く。(SINSEIにはそんな経験無いからよくわからないけれど、、、)
(以下あらすじ↓↓↓)
そんなロックバンドの、本名を誰も知らない、むしろグルーピー仲間からも嫌われていた、その存在すら誰も気に留めなかった一人の女が(自分の身を守るために身体を捧げることができずに)殺された。
バンドのメンバーが疑われた行きがかりからバンドリーダーの石森信が調べ出す。
彼女のことを追いかければ追いかけるほど、彼はあることに気づく。「こいつ俺の側の人間だ」と。
そして彼はこう吐き捨てる。「こいつはブルーズ(blues。ブルース)だ。」と。
(以上あらすじ↑↑↑)
白状するとSINSEIのハンドルネーム「SINSEI(シンセイ)」は、ただ本名を音読みにしただけなんだけれど、実はこの小説の主人公「石森信」へのリスペクトでもある。
(ちなみにSINSEIの“SIN”は「罪」と掛けている、“Shin”でも「サイン・コサイン・タンジェント」でもない。そしてSINSEIのことを初めて「シンセイ」と呼んだのは中学の時の世界史の先生。)
もっと言えば、SINSEIはこの小説を読んで大学を辞めたといっても過言ではない。(あって、それはちょっと言い過ぎかも。つーかこの小説、学生時代に読んだのか、大学辞めてから読んだのかはすでに記憶不安)
兎にも角にもそれぐらSINSEIにとっては人生を大きく左右させたほどの影響力のある小説、、、なのである。
今となっては笑い話だけれど、当時は何かに迷うと、「石森信ならどうするだろうか?」と、そんな思考で物事を考えたりもした。
当時のSINSEIは「薔薇は気高く咲いて、美しく散る」よろしく、「28歳くらいでインドあたりで華々しく死んでやる」と妄想していた大バカ者のお目出度い奴であった。(インドなんて行ったこともない癖に)
気づいてみるとすでにSINSEIは、この小説の石森信の年齢(33歳)を十年も超えていた、、、┐(-。ー;)┌ヤレヤレ
はてさて、その「石森信」がいまのSINSEIをみて、果たしてなんと言うだろうか?
「ROCKじゃねーな」と鼻で笑われそうだよ。。。涙
実はこれとは別に、SINSEIがこの小説を思い浮かべる時には、どうしても忘れられないひとつの記憶がある。
(以下はあくまでもSINSEIの妄想であり、ファンタジーであり、この小説からインスパイアされた「物語」であります。そんな物に興味の無い方は読み飛ばして下さい)
それはある一人の少女のことだ。
SINSEIに「デビット・ボウイが好きだ」といったその娘はまだ高校生だった。SINSEIはちょうど大学を辞めたちょっと後ぐらいだったかな?
今から思えば「蒼井優」と「新垣結衣」を足して2で割ったような、ちょっと可愛い子だった。(少し褒めすぎかも?)
同じデビット・ボウイ好きのSINSEIの友達と付き合い始め、またその娘は当時のSINSEIの彼女とも仲が良かったので、何度か4人で遊んだりしたこともあったと思う。同じバイト先の仲間だ。
男ばかりの3兄弟の真ん中のSINSEIとってその娘は何となく「妹」の様な存在だったけれど、別に「兄」の様に慕われていた訳では無かった、、、(と思う。)
恐らくその友達も感じたであろうことをSINSEIもその娘に対して感じた。
それはどう表現すれば良いのだろうか?「同じ香い(におい)がする」としか言いようがない。
そんな香いからか、SINSEIはこの娘にこの小説「ハードラック・ウーマン」を貸してあげたことがる。
この冒頭から、ロックバンドの追っかけの女の子が工事現場でレイプされかけた揚句に惨殺された後のシーンや、後半ではバンドのベーシストがビルから飛び降り自殺をする、、、といったような小説を、(今の携帯小説はこの比ではないのかもしれないけれど、、、)
その娘はバイトの仕事そっちのけで、店長の目を盗みながら、カウンターの影に隠れて、熱心に読みふけっている、そんなその娘の姿を、
SINSEIは今でも鮮明に憶えております。
その後SINSEIは当時の彼女と別れ、その友達もその娘と別れ、バイト先も変わり、その友達とは後々までバンド組んだりはしたけれど、いつしか彼女のことは話題にならなくなり、その友達も今では実家に帰り、
それぞれがそれぞれの道を歩み始めた。。。
SINSEIがそのことを知ったのは、それからもう10年くらい経って、それまで伸ばしていた髪を切って、千葉の成田なんかで就職みたいなことをして、真面目に働き始めた頃のことだ。
その娘が自宅マンションの屋上からその身を投じたと、風の噂に聞いた。
その後その娘がどんな人生を歩んでいたのか、なんでそんなことをしたのか、SINSEIには全く知る由もないけれど、
SINSEIは“Blues”だと思った。「これはブルーズだ」と思った。
きっと彼女は空を飛びたかったんだと思う。自由に空を、、、そのためなら死んでもいいと願ったのかもしれない。
神様が人に翼を与えなかったことを心底恨んだよ。
人は何故空を飛びたがると思う?
それは遠い太古の記憶、DNAに微かに刻まれた人の記憶、
遠い昔、人は空を飛べたのかもしれない。
「生への希薄な執着」と言えば誤解が生じるけれど、決してその娘は「リストカッター」でも「自殺願望者」だったわけでもなく、いわゆる最近流行りの「タナトス」とも違うような気がする。「今」を精一杯生きていたはずだ。
「自由に、もっともっと自由になれるのなら、、、死んでもいい。」
確かに彼女にはそんな香いがあった、、、そのことに今になって気づく。
そしてSINSEIは「生き残っちゃったよ」
もしあの時SINSEIがあの本を貸さなければ、、、このことでその責めを負わなければならないのなら、それはそうなのかもしれない。
SINSEIは「生きたい」と思った。「生きなきゃ」って思った。
「その娘の分まで」とか「その娘の為にも」なんて、高尚で真っ当な人生は送れないけれど、
これからも最低な人生を、なんら変わらない平々凡々な人生を、生き恥さらしながら、人様に迷惑をかけながら、傷つけ傷つきながらも、「生きなきゃ」って思ったよ。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
hard luck woman - SHOW-YA 寺田 恵子

【関連エントリー、及び参考にさせていただいたサイト】
「それでも生きろ」というメッセージ

今がんばれない君へ

変わりなき日常を熱く生きよう!

(以下長文引用させていただきました、ありがとうございました)
魂の叫び(笑) - マニアック - 【33】

いきなり長文引用です。
栗本薫『ハードラック・ウーマン』より。
【四面楚歌、けっこう。】
【性格破綻者、まったく仰せのとおりだ。】
【どうせ自分にも覚えのある、若いころのハシカさ、暴走族だって二十をすぎれば「引退」する、というし、と連中はいうだろう。】
【いいとも、オレはもう三十三だ。】
【連中のいう、分別のついてもいい年だ。】
【オレはだからこの身をもって、そんなもんじゃないって証拠をみせてやろうと思う。】
【オレたちは、家へ帰りかたを忘れちまったピーター・パンだ。】
【オレは四十になったって、五十になったって、ロック狂いのフーテンじじいになってやる。】
【ヨボヨボの腰をふってギターをひいてやろうじゃないか。】
これね、最初に読んだのって、高校生の頃なんですよね。
16.【題名】ハード・ラック・ウーマン - palmヒトリタビ

16.【題名】ハード・ラック・ウーマン
【作者】栗本薫
【発行】講談社文庫
【ジャンル】小説なのに、あえてブルース
【評価】☆☆☆☆
【その他】「悪い星の下に生まれた女」 ― ライが殺された。オレたちのロックバンドナイトメアのグルーピーだった。誰も本名を、その哀しい過去を知らない。
ハードロックにハッピー・エンディングは似合わない。【巻末より抜粋】
主人公シンが、自分のバンドのグルーピーだったライがなぜ、野良猫みたいに殺されなきゃならないか、気になり、彼女の過去を知るうちに、彼女も自分と同じ仲間だった事に気が付いた。
自分はいったい何をするのか、何もしないのか…
答えはロックのなかにしかない。
全編を通して、もの悲しくて、切なく、自由を求め、自分の居場所を求めてあがいている。いったい自分はどこが心休まるところなのか、何が本当なのかを、自問自答し、それがハードロックであり、ブルースである。そんな物語です。
野うさぎ茶房 - Hardluck woman-ハードラック・ウーマン-

空を、飛んだ事はありますか?
ナウシカのオープニングは覚えていますか?
あの、足の下になにもない、岸を離れる瞬間、身体が風に支えられふわっと浮く、足下に小さく広がる集落、下に流れる雲、青い空。
飛ぶ、..空を飛ぶ、両手拡げて、上へ、上へ。
遥か視界の果てに見える丸い地平線、人は、飛べるのだ、機械を使わなくても翼を持たなくても。
It's Old Blackmagic、黒魔術の呪文の代りにピアノの早いパッセージを、スネアのロールを、ややこしいフレーズは要らない、ロングトーンの果てに合致点が待つ、全員が目指す一つの大きな波。
翼を神は人に与えなかった。
なぜなら人は飛ぶことができるから。
(中略)
この「ハードラック・ウーマン」の後半、主人公石森信が旭川の街で心に叫ぶ思い、一度飛ぶ事を覚えた人間は二度とまっとうな生活などできない、というくだり...だけれど誰もがそう思いつつ平凡の毛皮をまとって地面を這う..それがきっと読む人それぞれのしかし必ず、琴線に触れるのだと思います。
まっとうでなんかいられない..世の中の人間は二種類あるんです。飛ぶことを知ってしまった人間とそうでない人間と。
もう高校生なんだから、大学生なんだから、○○歳なんだから、いい歳をして、..と言われ続けて、周囲の人々がまっとうなその時々のスタイルに苦もなく変わっていくのに取り残され、それでも、俺は違う、と思い続ける、どうしてだと言われてもそんなことわかるわけがない、自分は自分、こうして生まれついたのだとしか言えない、どこで何がどうなったものやら。
そして、重要なのは、一度飛べたのならそれは一生続く、ということなんです。浪漫なんです、浪漫の刻印を額に捺された人間は、一生、まっとうなんかにもどれやしない、って事です。
それではさようなら